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【仏教は宗教ではない:アルボムッレ・スマナサーラ/イケダハヤト】仏教以外の宗教が戦争を起こす理由

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日本に生きていて、仏教って他の宗教と違うなあって思ったことありません?

世界で戦争の火種になるのはいつの時代も宗教ですが、現代をみてもイスラム教の各宗派やキリスト教との衝突が戦火を招いている印象ではないでしょうか。

では、なぜ仏教以外の宗教が原因で戦争が起こるのでしょうか?

《目次》

 

仏教は科学?

本著はスリランカ上座仏教長老のアルボムッレ・スマナサーラと、ブロガーのイケダハヤトによる対話形式の本です。一貫して語られる題材はもちろん仏教。

タイトルにもなっている「仏教は宗教ではない」理由について、アルボムッレさんはこう語っています。

宗教というのは「俺の話を聞け」というスタンスなんですね。科学は事実を言っているだけです。科学は「俺の話を聞け、調べるな」なんて言わないでしょう?

お釈迦様はいつでも「調べなさい」「考えなさい」「確かめなさい」と言います。お釈迦様が、無神論者や宗教に疑問を持つ人と話すときは「あなたは自分で考えて理解してください」と言って話を続けていくんですね。

それで最終的な結論に達したら、「今、私があなたに結論を押し付けたのですか?あるいは自分でそのような結論に至ったのですか?」と、最初に釘を刺しちゃうんです。そしたら「これは自分で考えたものです」ってなるんですね。

まあそういうことで、科学のあるべき姿というのが全部そろっているんです。「確かめること」これは、仏教のモットーみたいなものです。それから「共通性」。真理というのは時代によって古くなるものじゃないんです。

仏教は宗教ではなく科学だという説明です。

「宗教ではない」というのは、きっとそうなのでしょう。他の宗教と違って仏教は神様を絶対視して「俺の話を聞け」的なスタンスでないことは理解できます。

でも果たして仏教は科学なのでしょうか?

科学は「俺の話を聞け、調べるな」なんて言わないっていうのはその通りです。そして、お釈迦様はいつでも「調べなさい」「考えなさい」「確かめなさい」と言っています。科学の最も重要な要素である再現性の証明をあなたに委ねているというわけです。たしかに仏教は科学みたいですね。

あれ?おかしいと思いません?

科学の再現性って「誰が実験しても同じ結果になる」という意味ですよ。「誰が」と「あなたが」という部分に矛盾を感じます。 

では仏教は科学ではないのでしょうか?

いや結論を急がず、もう少し考えてみましょう。仏教という科学(仮)の研究対象は哲学です。例えば、本著でもあげている「人間にはなぜ悩み苦しみがあるのか」等がテーマです。

このテーマについて釈迦がファーストオーサー(筆頭著者)として1本論文を書いたとしましょう。検証するのは「あなた」です。ここが重要なのですが、再現性の証明を求められているのは「あなた」だけなんですよ!なぜなら哲学が釈迦の専門分野だから。実存主義では、客観に真理はなく「あなた」がどのような結論を出すかが重要なのです。このあたりは、「世界十五大哲学」の記事に書きました。

inyoshoten.hatenablog.com

 

実存主義的に考えるのであれば、「あなた」さえ釈迦の科学と共感できれば、それは科学として立証されたことになるのです。

ということで、仏教は科学だと言えそうです。

でも本当ですかね?やっぱ違和感が残ります。しつこいようですが、まだ反論したくなります。

真理というのは時代によって古くなるものじゃない」って部分です。これ本当でしょうか?時代背景によって人の考え方のトレンドって変わりませんかね?研究者 釈迦が論文の再現性証明を依頼する「あなた」が紀元前5世紀に生きていても、現代に生きてても「釈迦の主張に共感!」となるでしょうか。フーコーは、今を生きる人間の思考は歴史的な根拠から作り上げた真実に基づいたものだと言っています

inyoshoten.hatenablog.com

 

つまり、人間の思考は生きる時代によって違うのです。これって考えてみれば当然ですよね?狩猟採集だけで生きていた時代と、飛行機も電化製品もネットもある時代とじゃ、哲学的なテーマにしても随分行き着くところが変わりそうです。

 

仏教は宗教ではないので戦争の引き金にならない(はず)

戦争について、アルボムッレさんの発言です 

世界で戦争を起こしているのは誰ですかね?どんな戦争の裏にも宗教が絡んでいるでしょう。

これは疑いようもない事実で、歴史が証明しています。「仏教は宗教ではない」ことと合わせて考えると、仏教が戦争の引き金になることはなさそうです。ただし仏教を宗教として広めることがなければ、という条件付きですが。聖徳太子以降の日本史は仏教を政治につなげた事例を多く含みます。

ここで冒頭の質問。なぜ仏教以外の宗教が原因で戦争が起こるのでしょうか?

興味深い話を認知科学者の苫米地さんが「洗脳」で紹介しています。

inyoshoten.hatenablog.com

 

苫米地さんは、2003年イラク戦争がはじまった頃、ハワイのホテルでこんなテレビ番組を観たそうです。

「なぜ、我々はイスラム教の人々を殺す(Murder)のですか?これは許されることなのですか?」という質問に対して、ユダヤ教徒のラビが「KillとMurderは違います。これはKillであってMurderではありませんと答えたのです。ニュアンスとして、人殺しはMurderであり、人以外のものを殺すのがKill。ユダヤ教からしたら異教徒は家畜とおなじ存在であり、人ではないためKillして良いという論理です。

これ、あまりに恐ろしいと思いませんか?しかも、同席したプロテスタントの神父も、カトリックの牧師も、イスラム教の導師も、誰一人異論を唱えずにその場が流れたそうです。つまり、宗教はお互いを「あなたがたにとって私たちは家畜だし、私たちにとって、あなたがたは家畜なんだよね」と考えているということです。

これじゃ戦争起こるわけですよ!

 

まとめ

どうやら仏教は宗教ではないが、科学でもなさそうです。

仏教は宗教ではないので、戦争の引き金にはならないでしょう。しかし、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、他にもいろいろ宗教ありますが、何とか戦争にならずお互いを人として認めることはできないのでしょうか?

私は宗教家でも熱心な信者でもないので、そこまで排他的になる理由がさっぱり分かりませんよ!哲学や宗教も専門家のように詳しくないので、本で仕入れた事例や解釈も正しいのかどうか正直わかりません。お手数ですが専門の人がいたらどんな形でもよいので教えていただけると嬉しいです。

わからないことだらけですが、各国の宗教家には、とにかく戦争を起こすほど極端な排他的思考はしないでほしいものです。

 

イケダハヤトの他の本

さらっと言いますが、実はこの本を手に取ったことがきっかけでブログ始めました。「一流はパクってなんぼ」とのたまってますが、タイトルからして瀧本さんの『武器としての〜』シリーズをパクってるのはさすがの一言。