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【凶悪:「新潮45」編集部 】告発する殺人犯、告発される記者の心理

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ノンフィクションには力があります。中でも犯罪モノは読み応えがあります。

対象の事件が現実に起きているもの、実在の人物によるものと考えると、後半に温存しておくべき胆力がボディーブローのように削られるからです。

《目次》

 

死刑確定囚の復讐心 

おすすめランキングさんが1位指名されていた『凶悪』はボディが得意なようで、後半ふらふらになりました。

osusume-ranking.hateblo.jp

人を殺し、その死を巧みに金に換える“先生”と呼ばれる男がいる―雑誌記者が聞いた驚愕の証言。だが、告発者は元ヤクザで、しかも拘置所に収監中の殺人犯だった。信じていいのか?記者は逡巡しながらも、現場を徹底的に歩き、関係者を訪ね、そして確信する。告発は本物だ!やがて、元ヤクザと記者の追及は警察を動かし、真の“凶悪”を追い詰めてゆく。白熱の犯罪ドキュメント。

告発者の元ヤクザ後藤は死刑確定囚でありながら、自身がさらに3件の殺人を犯したと告発します。3件の殺人には“先生”と呼ばれる男が関与していて、後藤は“先生”の悪事を世の中に知らしめ、相応の罰を与えたいと復讐心を燃やします。 

後藤の復讐心とはどのような性質のものだったのでしょう?

告発を直接聞いた新潮社 宮本さんは、想像ながら後藤の心理をこう書いています。

“先生”、マスコミや警察から逃亡し、姿を消してしまうのではないかと心配していました。真実を暴かれて、自殺でもされたらどうしようかと、塀の中で、気が気でありませんでした。ご健在のようで、ホッと胸を撫で下ろしています。あなたには、きちんと法の裁きを受けてもらいたいと願っているものですから。

これは死刑確定囚だからこそ至る心境なのでしょうか。

後藤は“先生”に死という結果を求めているのではなく、ずる賢く逃げ果せずに裁きを受けるというプロセスを求めています。裁判の結果が死刑、無期懲役あるいは刑期何十年であれ、それは最も重要な関心事ではないのです。

 

告発の聞き手という立場

毎週のように小菅に足を運んでいたので、上司のひとりは、「死刑判決をうけた人間のために、拘置所に通いつづけていて、まるでトルーマン・カポーティのような状態になっているね」と言った。

説明するまでもないだろうが、トルーマン・カポーティとは、『冷血』や『ティファニーで朝食を』を世に出した、米国の著名な作家である。『冷血』は、二人組の男が、縁もゆかりもない田舎町に住む一家を、幼い子供も含めて惨殺した実際の事件を題材にしている。カポーティはこのうちの一人、「ペリー・スミス」にインタビューするため、刑務所に足繁く通いつづけた。

(中略)

ペリー・スミスは、カポーティにとって普遍的な人間の弱さと残酷さを見出せる対象と感じられたのだろう。

私は後藤に対し、そのような感慨を覚えたことは一度もなかった。彼が犯した数々の事件に考えをめぐらしたとき、やはり「誰も後藤になり得た可能性がある」とは到底、思えなかったからだ。

彼は特殊な世界に住む、特別な人間だ。 

「特殊な世界に住む、特別な人間」、果たしてそうだろうか。

著者は一記者でありながら危険な道に自ら飛び込んで取材したほどの人物で、何度も死刑囚と面会しています。それでも共感はないと言い切っています。

犯罪者に寄り添うべきという訳ではないが、カポーティのように「普遍的な人間の弱さと残酷さ」という共感はあるもの、あるべきじゃないでしょうか。

後藤は連続殺人犯ですが、何かの拍子で1人を殺してしまったら、タガが外れて何人も殺してしまうことはあり得るんじゃないか。人間は魅力に抗いがたい生き物で、それを手に入れるためには一度犯した悪事であれば繰り返してしまうものじゃないかと。まして、その魅力が「生活苦から脱するための唯一考えられる選択」等であればなおさらです。

 

まとめ

殺人を犯すほどの犯罪者も同じ人間であり、私たちもそちら側に足を踏み入れる可能性がある。

自分の身にも起こりうると認識したうえで「ならどうすれば防げるか」を考えなければ対処療法から抜け出せず、悪質犯罪の本質的な解決にはならないのではないかと思うのです。

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