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【日本政治のウラのウラ】「田原総一郎の後継者が居ない」を読んだので考察

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宮田レイシープさんの、こちらの記事をみた瞬間に「同感だ!これは考察をまとめるしかない!」となって書きました。基本、完全同意のスタンスです。

www.goodbyebluethursday.com

 

《目次》

 

本を読んで気づいた2つの凄さ

『日本政治のウラのウラ』は、森喜朗と田原総一郎の対談本です。

表表紙も裏表紙もおじいさん2人が銭湯に入ってる写真で、こんな癒される表紙を近年見たことがあるか?ってほど和みます。反面、政治裏話の宝庫で読む人が読んだらディープインパクトな内容です。

田原さんの凄さは直接お目にかかったことのある人にしか分からないように思えますが(それ言ったら元も子もないけど)、本著を読んでいて2つ、他の記者とは違うであろう点に気づきました。

 

1. 誰も言わない仮説をぶつけて意見を聞く

1つ目の違いは、誰も言わない仮説をぶつけて意見を聞く点です。仮説なら何でも良いわけじゃありません。「誰も言わない」であろう仮説をぶつけるところが凄いのです。

田原:ぼくが思うのは、吉田茂、岸信介、福田赳夫、中曽根康弘、森善郎、それに小泉純一郎を入れてもいい。どうも保守のタカ派が総理大臣になった時に、日本は大きく動く。ハト派の時はダメだという感じがしますが、これについてどう思います?

森:それは、当たっていますねぇ。

田原:その辺をちょっと解説してください。

森:そもそも自民党の本質はタカ派なんですよ。

云々、と森さんがこの先話を進めていきます。止まらなくなるんですよ。

なぜか?

田原さんが、森さん自身も気づいていなかったような、今まで聞いたことがないけどシンプルな仮説をぶつけたからです。シンプルですよね?でも、きっと誰も今まで言っていなかったことなのでしょう。だから森さんもペラペラとノンストップでしゃべっちゃうんです。

それが本であれば重要なコンテンツの1つとなり、ニュースであれば1つの「田原さんだからこそ書ける」記事になるという図式です。

 

2. 体感したことを教える

宮田レイシープさんは、田原さんと他の自称ジャーナリストの違いは「圧倒的な取材力」にあると書いています。直接当事者に聞いた「生の声」を報道する点が違うと。

田原:ぼくは戦後、言ってみれば左翼で、共産党にあこがれていました。というのは、最後まで反戦を貫いたからです。東京12チャンネルのディレクターをしていた1965年に世界ドキュメンタリー会議がモスクワで開催されて、ぼくがなぜか日本代表で参加したんです。 

(中略)

ちょうど、フルシチョフが失脚した後だったので、学生たちにフルシチョフはなぜ失脚したのかと問い質したんです。

(中略)

ぼくを案内してくれたソ連のコーディネーターが言うんです。

「ここでは、そういう話はダメです」

「なぜ?だって、ここは世界で一番、言論が自由なソ連じゃないか」

「とんでもない。政治の話は一切ダメだ」

そこで、ようやくソ連という国に言論・表現の自由が全くないことがわかったんです。ぼくはそれまでソ連が世界で一番自由な国で、階級がない社会だと思っていたから。

森:一番の階級社会だったわけだ。

森さんの何気ない相づちの一言には、自分は知らなかったけど面白いねという感が詰まっています。

1965年ですよ?

半世紀も前にソ連がどれほど「言論が自由」な国であったか、さすがにロシア通の森さんでも体感してないことでしょう。こういった「生の声」を引き出しに入れておいて、対談のときにサラッと出す。

政治家から意見を求められる記者という超凡な存在になるためには、「おっ、こいつはおれの知らないことを知ってるぞ!使えるぞ」と思ってもらう必要があります。そのためには、知識だけでなく自分だけが持ち得る肌身の体験を惜しみなく提供する。それを積み重ねることが有効なのでしょう。

 

まとめ

レイシープさんじゃないですが、報道に関わっている人は「生の声」を聞いて視聴者や読者に伝えるだけでなく、それを取材対象に提供したり、持ち得たオリジナルの仮説をぶつけてみてはいかがでしょうか。

素人が何を言っているのだという批判はナシですよ。そんな暇あれば試してみてください。田原さんがやっていることですから。

 

田原総一郎の他の本

こちらも対談本。相対するはベンチャー社長16人です。