引用書店

読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

THE INYOSHOTEN PLUS

書評を中心に、伝えたいことをplus

【魔法の世紀:落合陽一】人間がコンピュータの付属品になる時代

スポンサーリンク

ひさびさに高次元の知的興奮を味わった、鳥肌ものの本『魔法の世紀』。まずはコチラをご覧ください。


HORIEMON.com 落合陽一 WITH 堀江貴文

動画中の作品「Pixie Dust」で「十字架」を使ったのは、西欧人がこのモチーフに一定の象徴的な意味を込めることへのアンチテーゼなのだそうです。「十字架」は本来は人間の視覚表現の中で、極めてプリミティブな形の1つのはず。グローバル社会におけるコンテキストの違いとは何か、という落合さんの認識の象徴が作品になっています。

 

《目次》

 

落合陽一という異才

著者の落合陽一さんは1987年生まれの若干20代で筑波大学助教という研究者でありながら、メディアアーティストの顔も持ち合わせる異才

本著を読み始めるとすぐ気づくのが、彼の教養の深さです。導入は研究者らしく背景、つまり専門であるコンピュータとグラフィックスの歴史から始めているのですが、素人目にみても半端ない知識量です。要約すると、アイバン・サザランドの4人の弟子が「映像の世紀」20世紀にインタラクティブアプリケーションの始祖である彼の発明を組み入れていく、という内容。これだけでは何のことかさっぱりかと思いますが、本著では順を追って説明していて非常に分かりやすいです。

彼の教養はグラフィックスのみに止まりません。デカルト、ニュートン、ベーコン、マルクス等の成果を引用し、メディア、デザイン、労働がどう絡み合っているかも論じていきます。恐るべき20代です。

 

人間がコンピュータの付属品になる時代

2008年はApple社のiPhoneが日本に上陸した年でした。AppleStoreも始まり、メディアアートやインタフェース研究などを取り巻く環境そのものが大きく変化していった時期です。

僕も当時、さっそくiPhoneを手に取ったのですが、その便利な機能を使ううちに、はたと考え込んでしまいました。こんな凄いデバイスが普及していったら、人間はコンピュータの下位の存在になってしまうのではないかという疑問が生まれたのです。

(中略)

生物学の知識がある人は、ミトコンドリアは元来独立した生物だったのに、自身を効率よく複製するために真核生物と共生を始めたという説を知っていると思います。同様に、人間も自分たちをより確実に生存させるべくコンピュータを使っているうちに、気がつけばコンピュータにとってのミトコンドリアになっていくのではないか ー ふとそう思ったのです。

「衝撃」の一言に尽きます。

これを読んだ時、人間の知覚である五感、運動能力、そして思考力までもがコンピュータに抜かされる時代がリアルに想像できました。彼は例としてApple社のRetinaディスプレイを挙げています。わたしはRetinaを含め、以下を思い浮かべました。

  • 視覚:人間が知覚できない解像度を表現できるRetinaディスプレイ
  • 聴覚:人間が知覚できない超音波が聞こえる骨伝導技術
  • 聴覚、視覚:色盲の人が「音」で色を認知できるようになるデバイス
  • 運動能力:南アフリカ代表でパラリンピックではなくオリンピクに出場するほどの脚力を選手に与えた義足
  • 運動能力:筋力を増強するロボットスーツHAL

既に実現している技術、門外漢の自分が知っている技術だけでもこれほどあるのです。スマートフォンのようにほとんどの人がこれらの技術の恩恵を受け、「装着している感覚」までもがなくなる時代が来れば、それは人間というよりコンピュータが生きていると言えるのかも知れません。

これまでも、2045年には人工知能の能力が人間の脳を超える「シンギュラリティ」という言葉は聞いたことがあり、レイ・カーツワイルの動画や書籍にふれたこともありました。しかし、私の専門性が生物系だからかも知れませんが、ミトコンドリアと人間のアナロジーから「人間がコンピュータの下位の存在」になることが急に現実味があるものに感じられたのです。

 

魔法の世紀とは

「映像の世紀」とは、人間に指針を合わせてメディアを設計する時代でした。しかし、「魔法の世紀」では人間の感覚を調節した設計を行うことで、メディアが物質世界自体をプログラミングできるようになります。

落合さんには、人間とコンピュータの区別がなくなり、それらが一体として存在する世界が見えています。旧来の人間にしたら、未来の自分たち(人間+コンピュータ)はまるで「魔法」を使っているようにみえるでしょう。現代の人間が日常的に見ている「映像」を、1世紀前の人間が「魔法」だと感じるのと同じように。

わたしたちが「映像」を当たり前のようにみるのと同じ感覚で、未来のわたしたちは「魔法」を当たり前のように使っている。近い未来、それは現実のものになる。そう直感するのは私だけではないはずです。

 

実際に感じること

この本を読むのにかけた時間は、1時間半程度です。一般書として書かれた本とはいえ、専門性の全く違う本を1時間半で読み切ることは以前では考えられませんでした。

なぜ短時間で読めたのか?理由は1つ、kindleで読んだからです。1つページをフリックしたら、気になる箇所以外は一目みただけで次のページにフリックできます。

わたしは日本経済新聞(紙+電子)を購読していますが、それも紙面ではなく電子版で読むのが習慣になっています。

正直言って、紙よりkindleや電子版の方が脳に一発で内容が入ってくるからです。普段の仕事でも、細かい日本語や論旨を確認するときは紙で文書をチェックしますが、内容を把握するだけなら画面でみます。思えば、「まるで脳がiPhoneやPCの中にある感覚」と言えなくもないです。落合さんの主張通り、もう「魔法の世紀」は始まっているのかもしれません。

 

まとめ

人間が自身に生来備わった感覚を超えた能力を使いこなす「魔法の世紀」が来るとしたら、いや来ているとしたら。

わたしは医療業界にいるので、「体を治すという概念が変わる世紀になるかも知れない。そうだとしたら、自分にできることは何だろう?」と考えているところです。自分の業界では何ができるか。あなたも「魔法の世紀」を前提に考え直してみてはいかがでしょう?