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【あの日】速報:小保方晴子という人を考える

科学 科学-生物学
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あの日に戻れるよ、と神様に言われたら、私はこれまでの人生のどの日を選ぶだろうか。一体、いつからやり直せば、この一連の騒動を起こすことがなかったのかと考えると、自分が生まれた日さえも、呪われた日のように思えます。

これを読んで多くの読者はどう感じるだろうか。『あの日』の最初にくる文章である。2日前に小保方さんが手記を出すというネットニュースをみて、『あの日』というタイトルをみて、それは「どの日」を指しているのだろうかと疑問を持っていた。本を開いたらこれである。

あまりに悲観的だ。生まれた日まで遡るとは、さすがに予想の範疇をはるかに超えていた。どのような思いがあるにせよ極端すぎるだろう。

読み進めると、まず冒頭の謝辞に「若山先生」の名前がないところが目に付く。それが本著での若山バッシングのはじまりだった。

小保方さんが本著を書いた目的は①所属した研究機関の意向に影響されずに文章を公表する、②騒がれるから黙らざるを得なかった自身の弁明を世の中に示す、③地に落ちた自身への悪印象を少しでも和らげる、この3点にあると予想される。(「印税で儲けたい」が一番の目的かもしれないが、ここでは外しておく)

若山さんに対して負の感情を持っているだろうことは、これまでの報道でも十分想像できた。が、目的③の観点で他人の悪口を書くことは明らかに得策ではないため、まさかここで若山バッシングが展開されようとは思わなかった。「あいつめ!」という感情は中盤までは何とか抑えて、事実のみを淡々に述べる記述にとどまっているが、終盤は負の感情を文体にまでぶちまけている。

 

最後まで読んでみて改めて小保方晴子という人のことを考えると、「権威に弱い未熟な若者」だということがわかる。

私は彼女と同世代だが、20代後半以降ともなれば「自分は何者にもなれた」と考えるのが当然だろう。20代後半は努力や環境次第で何者にでもなれる年齢だ。プロスポーツ選手ならばベテランの域に入ってくる年齢だし、メディアでは経営者も目にする。いつまでも年の離れた大人たち相手に引け目を感じているようでは、何事も成し遂げられない未熟な人物だと評されても仕方がないだろう。本著では、これでもかというほど大人たちにビビり、尊敬の言葉を並べた箇所が散見される。だいたい「大人」と言っている時点で自らの未熟さを吐露しているようなものだ。

「未熟」と書いたのは、他にもいくらか理由がある。まず、自分がいかに他の立派な研究者たちに評価されていたかを誇示している点だ。本当に言ったか言わなかったかは定かではないが、ボスたちに「今まで見た中で一番優秀な学生だ」などと褒められたシーンを何度繰り返し書くことか。それ、この本にいる?と毎度つっこみたくなる。感情的に不安定だからか、誰かに評価されたことを再確認したいのかもしれない。ここには年長者が下の自分を可愛がることを特別誇りと思ってしまう権威への弱さ、マイナスな意味での女性らしさが根底にある。小保方さんはよく狡猾な悪女として語られることがあるが、本人の言葉からは良くも悪くも「したたかさ」は感じられない。ただただナイーブなだけだ。

若山バッシングの中では、いかに彼が卑劣な手を使って自分を悪役に仕立てて狂言を繰り返しているかを説明しているのだが、その論理展開が甘い。事実に基づいて当然反論するわけだが、その大前提である事実が「伝聞」だったりする。しかも自らウソつきと断ずる若山さんからの伝聞だ。ある程度賢い「大人」たちなら容易に反論できる。

 

書いている内容の真偽はほとんど不明だ。例えば毎日新聞の須田記者をはじめ、報道陣に対してはあからさまな不信感を書いている。笹井さんに対しての無茶な取材攻勢を批判している。一方、須田さんの本『捏造の科学者』では「笹井さんは私を信頼してくれるから情報を出してくれて、だから記事が書けたんですよー」というようなことを須田さんは書いている。どちらかがウソをついている。記者かもしれないが、小保方さんかもしれない。

確実に言えることは、彼女が研究というものに人一倍ハマったことだろう。専門分野に精通していなければ、多くは事実風に冷静に書かれている本著は生み出せないはずだ。そして少なくとも優秀な研究者たちがその利権に群がってくるほど、突出した結果(嘘で塗り固められたとしても)は出せなかったはずだ。

1つの分野にハマって成果(?)を出した彼女だからこそ、ここでくすぶってほしくない。生まれなきゃよかったとか、本の最後を夢気分で締めてる場合ではそろそろない。ヴァカンティ氏ではないが、早く次の人生を歩みだしてほしいと願うばかりだ。