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【僕がイスラム戦士になってシリアで戦ったわけ:鵜澤佳史】生の声を知る衝撃

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まずタイトルを見て「えっ!そんな日本人が!」と驚いた。

北大の学生がイスラム国に参加しようとして止められたのは記憶にあるが、「鵜澤佳史」という男がシリアでイスラム戦士として戦っていたのは正直知らなかった。

報道情報に疎いといわれればそれまでだが、知らなかった人もいるのでは?

《目次》

 

鵜澤佳史がイスラム戦士になった経緯

子供のころから深刻なワキガでいじめられ、他人に迷惑をかけるストレスに苛まれていた鵜澤さん。自殺も考えた。死を強く意識するにしたがって、「生きる」を前提とした価値ではなく「死ぬ」ことも前提とした価値を求めるようになる。

内なる思いに突き動かされて自衛隊学校で訓練を積む。当然のように戦場に向かい、2013年4月7日トルコ南部のキリスからシリア入りを果たす。そしてイスラム教に改宗し、シリアの反政府軍の1つでカリフ制国家の建設を目指すピュアなジハード主義「ムハンマド軍」に参加した。

本著にはその先の出来事が事細かに書いてある。怪我が理由で戦線離脱して帰国するのだが、怪我の写真と受傷当時の描写にはすさまじいものがある。

 

イスラム戦士の生の声

「戦って死にたい」という理念と、「生きたい」という本能的な気持ち。コーランの教えと人間的な感情の狭間で揺れ動く想い。彼らのそんな素顔を目の当たりにしているような気がした。

これがジハードで殉教する戦士たちのリアルだ。

本著には戦闘中にも関わらず1日5回の礼拝を欠かさない戦士の姿が描かれている。戦闘中は地面にひれ伏す礼拝ではなく、立ったまま目を閉じて祈りを捧げることもある。

祈りの言葉を唱えながら、彼らは皆一緒になってすすり泣くのだという。戦闘の前には、ジハードで死ぬことで幸せな死後の世界に留まれるというイスラムの理念と、自分の人生や家族や仲間を思って「生きたい」という本能が戦っているのだ。

報道だけ見ていては、残虐なイスラム国のイメージにとらわれて我々が思う人間らしい感情はないのだと勘違いしてしまう。当たり前だが、彼らも人間で、死ぬことへの葛藤はあるのだ。

「さあ今日は戦闘だ」と言われたら、あなたの感情はどのようにふれるだろうか?自ら志願しているとはいえ、同じような思いを少なからず彼らも感じている。中東の報道をみるときは、このことを忘れてはいけない。

 

鵜澤佳史が帰国時に逮捕されなかった理由

戦争を知らない日本の政治家にとって、スパイも傭兵も夢の中の話なのだろう。

アメリカなら帰国したとたんに「傭兵として戦っていた」として逮捕されてしまうが、日本にはそのような法律はないそうだ。「スパイも」というのは極端な表現だが、日本人にとっては海外の戦場は「夢」なのである。

芸能人のスキャンダルばかりで海外ニュースの報道が極端に少ない日本。その根底には自分たちと普段関わらない世界を「夢」だと切り離して考えるクセがあるのだろう。

日常と非日常は地続きであるにもかかわらず。

 

SEALDsとの対談

蛇足だが、巻末のSEALDsとの対談はいらんだろ。いくら政治的な主義主張なく戦地に行ったとはいえ、この対談は違和感ある。これのせいで妙に本著が軽くなっている感がある。