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【火花:又吉直樹】ハリウッドザコシショウのR-1優勝が嬉しい理由

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3月7日(日)ハリウッドザコシショウがR-1で優勝した。ぶっちぎりだった。

これが妙にうれしかった。前から古畑任三郎の「ハンマーカンマー」にハマっていて、ちょっとした青田買い的なファンだったから「うれしい」と感じたのかも知れない。

いや、もう少し深い「うれしい」理由がある気がする。

「夢見るためには目を閉じていてはならない。読むことである」とミシェル・フーコーが書いていたのを思い出し、手元にある関連図書といえそうな又吉直樹著『火花』を読み返しながら考えてみた。

【フーコー入門】読まないと始まらない!何が?「思考」がですよ - 引用書店

《目次》

 

神谷さんの名言から分類する

漫才は面白いことを想像できる人のものではなく、偽りのない純正の人間の姿を晒すもんやねん。つまりは賢い、には出来ひんくて、本物の阿呆と自分は全うであると信じている阿呆によってのみ実現できるもんやねん

神谷さんが僕(徳永)に「漫才師の話」を語る場面だ。

漫才師とピン芸人ではつくりこむネタと方法論が全く違うが、「人に笑ってもらう」という目的は同じだ。そのため、この場合は同じくくりとして考えられるだろう。

神谷さんが言うには「本物の阿呆」か「自分は全うであると信じている阿呆」のどちらかしか芸人になりえない。

ハリウッドザコシショウはどの分類だろうか?

そもそも芸人になりえない「賢い」人かどうかと問われると、失礼ながらハリウッドザコシショウは違いそうだ。空気をぶち壊すあのネタは「賢い」人が42歳になってやれるものではない。

芸人の分類でいえば「自分は全うであると信じている阿呆」なのではないかというのが、ぼくの考えだ。R-1優勝が決まったとき、コメントを求められるところで彼はネタ通りのハイテンションでボケなかった(野々村元議員をやったら面白かったのに!)。

一瞬どう反応したらいいのか迷ったそぶりを見せ、テレビ映りの良さそうなバンザイで締めくくったのだ。そのあとすぐに生放送終了の時間となり、次の番組に切り替わった。彼はかなり冷静な判断をした。このシーンから、「本物の阿呆」ではないなと察した。

 

遅咲きの芸人

『火花』に出てくる先輩芸人の神谷さんも、まじめに漫才師について語り、売れていないのに後輩に伝記を書かせようとするところから「自分は全うであると信じている阿呆」なのだろう。

しかし神谷さんは徳永が出会ったときで24歳だが、ハリウッドザコシショウは42歳。遅咲きの芸人だ。自分は全うであると信じて「演技」してきた時間の長さをおもうと、涙が出そうだ。「遅いけれど咲いた」というところが、ぼくには妙にうれしかっただ。

 

ハリウッドザコシショウは長続きするか

R-1審査員の清水ミチコは「今まで売れなかったのが不思議」と言っていた。今回のR-1のぶっちぎり優勝をみると、納得できるコメントだ。

彼のネタが好きなぼくとしては、とりあえず1年間ぐらいはハリウッドザコシショウがテレビで見れて、新しい動画もハイペースで蓄積されるとおもうと楽しみでしかたがない。

問題は長続きするかどうかだ。ハイテンションな裸ネタという特性から、1年ほどで消えるだろうと予想するだろうか?

ぼくは長続きするのではないかとみている。「演じる阿呆」は新しいネタも書け、空気を読めるため長続きするタイプだとおもうからだ。自分は全うであると信じて「演技」してきた経験を生かし、末長くわれわれを楽しませ続けてほしい。