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【銃・病原菌・鉄:ジャレド・ダイアモンド】「アンナ・カレーニナの原則」大喜利

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進化生物学者ジャレド・ダイアモンドの代表作『銃・病原菌・鉄』から、「アンナ・カレーニナの原則」に視点を絞って書く。

最後に大喜利を用意したので、回答を思いついたらコメントしてほしい。

アンナ・カレーニナの原則

家畜化できている動物はどれも似たものだが、家畜化できていない動物はいずれもそれぞれに家畜化できないものである。

この文章をどこかで目にしたような気がしても、それは錯覚ではない。文豪トルストイの小説『アンナ・カレーニナ』の有名な書きだしの部分、「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」(中村融訳、岩波文庫)をちょっと変えたものだからだ。

 『銃・病原菌・鉄』では、「第9章 なぜシマウマは家畜にならなかったのか」で引用されているトルストイ『アンナ・カレーニナ』に幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」という有名な一節がある。

トルストイがいわんとしたことは、「幸福な家庭」を築くためにはクリアすべき一定の条件があって、そのどれか1つでも欠けたら、欠けた要素に因って「それぞれに不幸」になるということである。これをアンナ・カレーニナの原則と本著では呼んでいる。

「幸福な家庭」についていえば、以下が具体的な条件だ。

  • 互いに異性として相手に惹かれている
  • 金銭感覚が一致
  • 子どものしつけについての考え方が一致
  • 宗教観が一致
  • 親類への対応が一致

確かに、ここまで全ての価値観や判断基準が一致していれば「どれも似たもの」になる。

 

原則に当てはまる例

ジャレド・ダイアモンドは「家畜化できている動物」に「幸福な家庭」とのアナロジーを見出した。アンナ・カレーニナの原則に当てはまる他の例は、こんなところだろう。

  • 仕事のできる人はどれも似たものだが、仕事のできない人はいずれもそれぞれに仕事ができないものである
  • おしゃれな人はどれも似たものだが、ダサい人はいずれもそれぞれにダサいものである
  • 魚を釣れる人はどれも似たものだが、釣れない人はいずれもそれぞれに釣れないものである
  • 太る方法はどれも似たものだが、ヤセる方法はいずれもそれぞれの方法があるものである
  • 読まれないブログはどれも似たものだが、読まれるブログはいずれもそれぞれに読まれるものである

やってみると分かるが、共通項がある項目にはポジティブなものとネガティブなものの両方が想定できる。他にも当てはまる例はまだまだありそうだ。

さあ、あなたはどんな例を思いつくだろうか?